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『刑罰はなぜ必要か 最終弁論』

『刑罰はなぜ必要か 最終弁論』は、中央大学出版会の日本比較法研究所翻訳叢書から出ているヴィンフリート・ハッセマー著の翻訳ですね。出版社HPの紹介によると、「ドイツの書評において高い評価を得た刑法入門書の日本語訳」なのだそうです。監訳者は堀内捷三先生ですね。

しかし、目次を見るといかにもハッセマーっぽい興味関心という感じがします。たぶん、ドイツ刑法やってる人なら、この感覚もわかるんじゃないですかねw

以下、目次です。

A. 日常生活の中の罰

Ⅰ. 隔たりと近さ
Ⅱ. 日常文化
Ⅲ. 社会的コントロール
Ⅳ. まとめ

B. 刑法がなそうとしていること。又は、刑罰がなすべきこと。

Ⅰ. 畏敬すべき箴言
Ⅱ. 透明性、悲惨さ、そして、浅薄さ
Ⅲ. 古いものから新しいものを
Ⅳ. まとめ

C. 我々すべてがなそうとしていること。又は、刑法がなさなければならないこと。

Ⅰ. 刑法の力
Ⅱ. 規定化の構想
Ⅲ. まとめ

D. 焦点
Ⅰ. 責任
Ⅱ. 被害者
Ⅲ. 少年

『中世君主制から近代国家理性へ』南充彦

『中世君主制から近代国家理性へ』の著者である南充彦教授は、本書を上梓した後に亡くなっており、単著としては本書が最初で最後の著作となったそうです。

ちなみに、愛媛法学会雑誌 35(1-4)は故南充彦教授追悼号となっています。

以下、本書の目次です。

はじめに

第一部 中世君主制

第一章 キリスト教と政治権力
 反政治主義
 政治の消極的容認
 教会の二面性
 教権と俗権の二元主義

第二章 教会と君主制
 フランク王国とカトリック教会の同盟
 国王の聖別
 王権と教権の抗争
 教皇統治理論の系譜
 王権の称揚

第三章 法と君主制
 「法を中心とする主権」
 神法の下にある君主
 自然法の下にある君主
 慣習法の下にある君主

第四章 封建制の超克
 封建制の遠心化傾向
 王権の領土的拡張 ~フランスをめぐる覇権闘争
 国王権力の増大
 王権の継承 ~不死鳥としての国王
 封建制から身分制国家へ
 官僚制国家へ

第二部 近代国家と君主制

第五章 近代的国家観の萌芽
「祖国」の再生
 ローマ法の復活
 領域的主権国家観の形成
 有機体的国家観から抽象的国家観へ

第六章 主権の成立
 歴史的・論争的概念
 主権の絶対性 ~内乱終結のイデオロギー
 世俗的概念としての主権 ~政治の自律
 「正しい」統治

第七章 王権神授説
 最良の統治形態としての君主制
 国王の世襲的権利ならびに個人的神権
 人民および教会からの独立宣言 ~政治の自立
 主権理論と王権神授説
 無抵抗の服従
 近代的王権神授説の独自性 ~中世君主制論との相違

第三部 近代国家理性

第九章 近代国家理性とは何か
 公的効用・公共善
 道徳および法の超越
 必要性と状況の関数としての国家理性
 慎慮
 世俗性原理としての国家理性 ~政治の自立

第十章 国家理性の三類型
 マキャヴェリと国家理性
 キリスト教的国家理性 ~「信仰の理性」あるいは「聖なる口実」
 ボテロの国家理性 ~もう一つの国家理性
 フーコー敵国家理性 ~第三の国家理性

あとがき

『入門 日本近現代文芸史』鈴木貞美

鈴木貞美『入門 日本近現代文芸史』は、今月(2013年1月)の平凡社新書の新刊ですね。こういう本をサラッと出してくれるから、平凡社新書は好きです。できれば過去の名著も復刊してほしいものですが。八木雄二のやつとか。

著者の鈴木貞美は仏文科卒で、日本文化についての著作が多い人みたいですね。今年で66歳になる方みたいです。

以下、目次。



はしがき
序章 文芸史とは、どのようなものか
一、「文学」が「文学」になったとき
 1、「文学」とは何か
 2、文学と芸術
 3、訳語「文学」の成立
 4、日本の人文学
二、日本近現代文芸史をどう書くか
 1、文学観を問いなおす
 2、近現代文学史観を検討する
 3、文化史観の変遷をたどる
 4、なぜ、文芸か

第一章 近代化のしくみ──江戸から明治へ
一、明治という時代(前半期)
 1、概念の翻訳と伝統
 2、自然科学の受けとめ
二、知の制度整備
 1、帝国大学の創設
 2、日本文学の三つの特徴
 3、活版印刷の力
 4、言文一致神話
三、文芸改良と古典再評価
 1、国民文学としての『万葉集』
 2、新体詩
 3、小説──翻訳と創作
 4、坪内逍遥『小説神髄』
 5、尾崎紅葉と幸田露伴
 6、論争の季節
 7、北村透谷
 8、『源氏』評価の移りかわり

第二章 生命の表現──明治後期から大正へ
一、生命主義の時代
 1、政治と社会の再編
 2、社会問題と人生問題
 3、宗教新時代と文化主義
 4、生命主義とは
 5、大正生命主義の諸相
二、印象主義から象徴主義へ
 1、独歩、蘆花、子規──写生の実際
 2、近代の憂悶
 3、日本の自然主義
 4、岩野泡鳴
 5、文壇の形成
 6、森鴎外と夏目漱石
 7、象徴主義の受容
 8、日本のデカダンス
 9、象徴詩の展開
 10、血と家の思想
 11、「私」語りの諸相
三、短歌の象徴主義
 1、与謝野晶子
 2、牧水、夕暮、茂吉
 3、太田水穂と芭蕉研究会

第三章 モダニズムとその屈折──大正から昭和へ
一、大正から昭和へ
 1、大衆文化の幕開き
 2、社会主義の高揚
 3、芥川龍之介と菊池寛
 4、心境小説問題
 5、世界に冠たる日本の象徴詩
 6、昭和モダニズム
 7、相互浸透
 8、宮澤賢治と中原中也
二、分水嶺
 1、精神史の分岐点
 2、文芸復興期
 3、私小説──論と実態
三、日中戦争から「大東亜戦争」へ
 1、聖戦の思想
 2、東亜協同体論から大東亜共栄圏へ
 3、近代の超克
 4、滅私奉公の哲学と科学
 5、三好達治──昭和モダニズムの軌跡

第四章 戦後文学の展開のなかで
一、思想文化史をめぐる問題
 1、東京裁判史観と二重性論
 2、日本文化論の季節
二、文芸の新たな出発
 1、寓意の氾濫
 2、歴史と記録
 3、零からの一歩
 4、総合小説と古典の力
 5、ラディカリズムとその終焉
三、ポスト・ヒューマニズムへ
 1、復活する生命主義
 2、大きな死、大きな生命
 3、尽きせぬ道の標に

あとがき
参考文献
人名索引

ミシェル・フーコーの世紀

1993年に出版された、日本で始めて開催されたフーコーをテーマにした国際シンポジウムの記録。刊行したのが東大の表象文化論研究室なのかな。未発表の論考なども含んでおり、表象文化論絡みでフーコーに興味がある人は読んでも損はないかと。

とりあえず、出版社に掲載されている目次はこんな感じ。

序 「ミシェル・フーコーの世紀」に向けて
フーコーと日本
フーコーとハイデガー
夢・狂気・無意識
言語・文学・イマージュ
政治・倫理・知識人
歴史・考古学・系譜学

収録されている個別の論考については、下記の通り。

渡邊守章「言説の軌跡」
中村雄二郎「日本の思想風土とM・フーコー」
柄谷行人「フーコーと日本」
H・L・ドレイファス「事物の秩序について」
P・ラビノウ「純粋と危険」
B・カッサン「フーコー、ハイデガー、そして《古代》」
石田英敬「歴史性の理論の『前史』」
丹生谷貴志「絶対的不毛を生きること」
S・ジジェク「フーコーとラカンにおける主体の概念」
小林康夫「無の眼差しと光輝く身体」
J・ルヴェル「フーコー」
B・カルサンティ「バタイユとフーコーにおける限界の概念についてのノート」
D・ドゥフェール「言葉とイマージュ」
Ch・ノリス「『啓蒙とはなにか』」
J・ミラー「フーコーの政治学」
H・U・グムブレヒト「フーコーを越えて/フーコーのスタイル」
塩川徹也「古典主義時代のエピステーメーと『ポール・ロワイヤル論理学』の記号論」
高田康成「その先のヘーゲル」
J・フュルンケース「『考古学』と『根源的歴史学』」
蓮實重彦「フーコーと十九世紀」

需要がなさげ

自分が本の目次を見たい属性の人間なので、案外需要があるんじゃないかと思って作ったブログですが、訪問者がゼロでワロタw

もっとも、グーグルさんに認識されるまでしばらくはアクセスゼロなのも当たり前なのかもしれないけど。

しかし、ひょっとして目次を並べるブログって、重複コンテンツでペナルティ食らったりするんだろうか? だとするとかなり面倒だなぁ。せっかく作ったのに(;´Д`)

というか、重複コンテンツだというのなら、書籍名を検索した時にもっと目次の充実したサイトを上位表示させろやと思うわ。どこも販売ページばっかりで目次がスッカスカじゃねーかよ。書評ブログも出にくくなってるし。わざわざ書籍名で検索する理由は、Amazonを探すためじゃねーッつーの。そもそもAmazonなら最初からサイト内で検索するわ。お気に入りいれてるし。

最近のGoogleのアップデートは迷走にも程があるって感じだな。

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